遠い思い出 パレスチナから来た少年

 パレスチナの悲惨な状況のニュースが流れるたびに思い浮かべる人がいます。ずいぶん昔、フランスに留学していた頃の友人ワリド君です。日本の大学を卒業して、フランスの大学院に入る前の1か月ほど、私は外国人向けフランス語の集中講座に通っていました。そこで私と同じ状況の外国人留学生たちがいたのですが、そのなかに旧フランス植民地などからの留学生、特に北アフリカの国々からきたアラブ系の学生たち(ほとんどが男子で工学などの実学系専攻)もいました。なんとなく彼らと親しくなって学食でよく一緒に食事をしたのですが、その彼らの知り合いで18歳ぐらいの少年ワリド君がいました。パレスチナに生まれ育った彼は、非常に優秀な生徒だったようで、奨学金をもらってフランスに来たばかりでした。フランス語はまだ初級程度で、知り合いとはもっぱらアラビア語で会話していました。最初は私がフランス語で話し、誰かがアラビア語に通訳するという感じでしたが、彼はみるみるうちにフランス語を習得し、しばらくすると日常会話には不自由しなくなったのでした。

 私の知り合ったアラブ人の学生たちは例外なくアメリカとイスラエルが嫌いで、ワリド君ももちろんそうでした。私はどちらかというとアメリカびいきだったので、彼と時々議論になることもありましたが、友人同士の食卓の会話ですから、それほど深刻になることもなく、たいていたわいもない話で笑いあっていました。しかし、やがて大学生活になじんで勉強がいそがしくなり、知り合いも増えていくとともに、学部が違い興味も違うアラブ系の友人たちと私はだんだん疎遠になっていきました。ワリド君も、大学が違うので、あまり見かけることがなくなっていきました。でも、学生時代から40年以上たったこの頃、よく彼のことを思い出すのです。彼は学業を終えたあとパレスチナに戻ったのだろうか、それともフランスに留まったのだろうか、そして、今彼はどこでどうしているのだろうかと。

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